2012年01月20日(金)
【メディアとコンテンツ2011】13回:アイドル・マトリョーシカ [メディアとコンテンツ2011]
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【アイドル論】「戦闘美少女」としてのスケバン刑事 [アイドル]
■初代麻宮サキ・斉藤由貴(85年)
TV「スケバン刑事 1」 第8話 斉藤由貴 ep... 投稿者 dr0scout1
初代麻宮サキは,母の死刑執行(ただし冤罪)の停止を交換条件にスケバン刑事になる。母を守るために国家権力の手先となる以外の選択肢が無かった少女。その背景に「悪の組織」がある限りは「世の中の平和のために戦う戦闘美少女」でもある。家族と世界がシームレスなのである。
父を殺し,母に殺人犯の濡れ衣を着せた一族を倒し,遂に母の無実を証明するのが闘う動機である。母を救出していったんは穏やかな生活を送るが,一族の残党(海槌三姉妹)の掃討戦で爆発に巻き込まれ,生死不明の最期を迎える。
斉藤由貴 白い炎 投稿者 dekamagi30
■二代目麻宮サキ・南野陽子(少女鉄仮面伝説,85-86年)
TV 「スケバン刑事 ?」 第8話 ep8 投稿者 dr0scout1
二代目麻宮サキの父は考古学者で,親族に敵対する勢力がいたので,その目を欺くため幼少の頃より鉄仮面を被らされ「五代陽子」の偽名で育てられる。犯罪が常態化している疑いが強い学園の内偵をして日々悪党と戦う。敵対する組織「青狼会」の総統は幼馴染で,なおかつ叔父と姪の関係でもある。総統は黒幕により殺される。サキは黒幕と対峙して勝利を収める。しかしサキの母は敵対した黒幕の養女であり,総統の育ての親でもあった。
■三代目麻宮サキ/風間唯・浅香唯(少女忍法帖伝奇,86-87年)
TV 「スケバン刑事 ?」 第3話 ep3 投稿者 dr0scout1
『少女忍法帖伝奇』は原作から大幅に逸脱している。和田慎二の別の作品『忍者飛翔』をミックスしたオリジナルである。風間三姉妹(暗闇機関「風魔」)と「影」とは「仇敵」である。戦うことは宿命であり,その舞台が「学園」である必然性はゼロに等しい。コードネーム「麻宮サキ」は襲名しているが,その名前とヨーヨーは戦闘ではほとんど使われることがなかった。対等な三姉妹がいるので「孤独」でもなく,「他者のため」でなく「自分たち一族のため」に戦っているので,「戦闘美少女」からは遊離している印象が濃い。
Remember (風間三姉妹) 投稿者 tamtran0208
「2」の主題歌は南野陽子『悲しみモニュメント』(#16-30)だけでなく,吉沢秋絵『なぜ?の嵐』(#1〜15),南野陽子『風のマドリガル』(#31-42)の3曲。「3」の主題歌は福永恵規『ハートのIgnition』(#1-8),浅香唯『STAR』(#9-21),同『瞳にSTORM』(#22-31),同『虹のDreamer』(#32-37),風間三姉妹『Remember』(#38-42)と推移する。中村由真,大西結花も3曲ずつ挿入歌として用いられている。年3〜4作のペースで新曲をリリースするアイドルに配慮した結果だろう。
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2012年01月17日(火)
【コミュニケーション・メディア史2011】4回:70年代後半のアイドル―山口百恵/キャンディーズ/ピンク・レディー [コミュニケーション・メディア史2011]
山口百恵とキャンディーズは引退・解散が「国民的関心事」となった。菩薩あるいは巫女として「彼岸−此岸の架け橋」「魂の依り代」としての使命を終えると,静かに退場した。人身御供のごとく。依り代が焚き上げられるがごとく。78年4月4日,キャンディーズは後楽園球場でMCを残して。80年10月5日,山口百恵は日本武道館の舞台上にマイクを置いて(*)。こうした象徴的な退場をした限りにおいて,彼女たちは再び降臨することはありえないのだ(田中好子さんの死でキャンディーズは物理的に不可能になったが)。ピンク・レディーの場合は,そうした「象徴的退場」ではなく,多くの未練を残していただけに,何度も「再降臨」するのだろう。そして,その「有難み」はますます減少していく。
*― 厳密には10月13日に日本テレビ系列で引退記念特番があり,その中での歌唱が「ラストソング」。山口百恵の引退コンサートの歓声は「黄色い」。女性ファンが多かった証拠だろう。
流行歌の対立軸は60年代まで(高度成長期)は,『ああ上野駅』に代表される農村―大都市(東京)だった。70年代に入ると地方都市―都会(東京・名古屋・大阪・福岡など)になっていった。「高校卒業」という状況で,進学・就職は都会に出なければならないケースが多い。そして大学を卒業してもI・Jターンではなく,都会で仕事をみつけてしまう。
高校卒業が最大の通過儀礼と言えるアイドルソングにとって,この状況は切実だ。都会に出て行った側に電話の存在は期待できず,手紙だけが遠距離恋愛のツールである。電子メディアが整った現代以上に,遠距離で恋愛関係を維持することは大変だ(逆に,制約が厳しいがゆえに,秘して燃える恋もあるだろう)。
松本隆が書いた二つの歌詞,『木綿のハンカチーフ』(太田裕美,75年12月)と『手編みのプレゼント』(岡田奈々,76年6月)の“結末”は,どちらもありえたのだ。そして,松本隆は岡田奈々には意識的に古風な女学生世界を描き出している(『女学生』という曲もある)。都会で「愉快にすごす」自分の「裏切り」を棚上げして,故郷に残った相手には「信じて」「待って」いてほしいと思うのが男の身勝手なのだが……。
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2012年01月15日(日)
【アイドル論】1983年のカメコたち [アイドル]
80年代に入って,アイドルのイベント会場で目立ったのは,高倍率で大きなズームレンズ付き一眼レフカメラを抱えたカメラ小僧(カメコ)たちだ。その一眼レフも大場久美子や宮崎美子らのCMで売ったわけだから共犯関係か。カメコは撮影した写真を個人で楽しむだけでなく,業者に〈生写真〉として販売してしまい,肖像権がらみのトラブルが目立ち始めた。
森尾由美のデビュー曲『お♦ね♠が♣い♥』(83/5/5,詞・曲:槇村侑,4.1万枚)はそんなカメコたちへの警告だ。
イヤらしい男の子たちが遠くの方で
私のサラサラの足をうっとり見てる
だけど一つ二つの お願いを聞いてくれなきゃ
無視して 波打ち際を歩くだけ
一番・二番で合計「四つのお願い」を聞いてくれなければ,イイことになんかならないわよ! という内容。ちあきなおみの『四つのお願い』とは,お願いをする中身が天と地の差がある。
- どんなに好きか証拠を見せること
- シンデレラみたいにウットリさせること
- やさしい言葉で魔法をかけること
- 王子様のように微笑みかけること
- やさしく愛して
- わがまま言わせて
- さみしくさせないで
- 誰にも秘密にしてネ
森尾由美は〈小野小町〉的,あるいは少女マンガの(学園)ヒロイン的な高飛車である。80年代アイドルにはそうした倒錯的ファンタジーがまとわりついている。そして,森尾由美の歌唱力は80年代では〈並のレベル〉であり,さほど問題視されなかった。
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2012年01月14日(土)
プロマイド売上からみる80年代アイドルの消長 [アイドル]
■マルベル調べのプロマイド売上ランキング
| 年 | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 |
| 80 | 松田聖子 | 藤谷美和子 | 三原順子 | 薬師丸ひろ子 | 大場久美子 |
| 81 | 松田聖子 | 薬師丸ひろ子 | 藤谷美和子 | 河合奈保子 | 柏原よしえ |
| 82 | 薬師丸ひろ子 | 河合奈保子 | 伊藤つかさ | 松本伊代 | 堀ちえみ |
| 83 | 中森明菜 | 薬師丸ひろ子 | 伊藤つかさ | 石川秀美 | 武田久美子 |
| 84 | 菊池桃子 | 原田知世 | 森尾由美 | 中森明菜 | CG |
| 85 | CG | 岡田有希子 | 伊藤麻衣子 | 本田美奈子 | 斉藤由貴 |
| 86 | 本田美奈子 | 南野陽子 | 斉藤由貴 | 浅香唯 | CG |
| 87 | 中山美穂 | 浅香唯 | 南野陽子 | 酒井法子 | 斉藤由貴 |
| 88 | 南野陽子 | 酒井法子 | 中山美穂 | 浅香唯 | 工藤静香 |
CG=クラッシュギャルズ(女子プロレスラー)
藤谷美和子は学園ドラマの『ゆうひが丘の総理大臣』『あさひが丘の大統領』(79-80),『池中玄太80キロ』(80-81)に出演して,アイドル女優としての地歩を確立した。十代で歌手にならず,三十路を越えてからデビューし,いきなりビッグヒット(愛が生まれた日,94年)という珍しいケースである。
80年は,角川映画『ニッポン警視庁の恥といわれた二人 刑事珍道中』(斎藤光正監督,中村雅俊・勝野洋)で映画デビューした年でもある(『野獣死すべし』の併映作)。藤谷美和子といえば,故・森田芳光監督『それから』(85年)の平岡三千代役が印象的だ。
80年代は群雄割拠で,消長も激しい。松田聖子・中森明菜もランク入りは2年間だし,小泉今日子はランクインさえしていない。前半で3年間続けてランクインした薬師丸ひろ子が目立つ。後半では,斉藤由貴,浅香唯,南野陽子の3人である。3人の共通点は『スケバン刑事』シリーズの主演者であり,音楽活動も熱心だったことだ。88年の南野,浅香,中山美穂,工藤静香は「アイドル四天王」と呼ばれたが,酒井法子も四天王に伍すパワーを持っていたことがわかる。
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2012年01月13日(金)
【メディアとコンテンツ2011】12回:アイドルを極め,アイドルを破壊した「集団アイドル」 [メディアとコンテンツ2011]
おニャン子クラブは過酷なオーディションだったと言える。「アイドルを作り出すプロセスが全面開示」され,5人が五日間も審査される。バラエティ番組である限り,とんねるずや片岡鶴太郎によるイジりやツッコミに的確なリアクションを要求される。プライドが高い「勘違い」女性は徹底的に吊し上げられた。「おニャン子は一義的にコメディエンヌ」だった。2年5か月間で約2万人の応募者があり,結果的に52人しか合格していないのである。86年3月に登場し,120点を叩き出し「おニャン子はお前のものだ!! 持ってけ!!」と石橋貴明に言わしめた渡辺満里奈はやはり“逸材”だったのだ。
おニャン子が「女子高校生」である限り,「卒業」という通過儀礼がつきものだ。卒業があるから少女はオトナになる。セーラー服を脱がざるをえないから,少女は背伸びをする。おニャン子で「卒業生」を出したのは,86年3月のこと。ソロ活動に力を注ぐ河合その子(会員番号:12番),歯科衛生士専門学校に進学する中島美春(5番,新田恵利・国生さゆりらと並ぶ番組開始時のメンバー)の二人が“卒業生”。3作目『じゃあね』は卒業の名曲,美しい春の曲だが,ほとんどが中島美春のソロと言ってよい(「中島美春withおニャン子クラブ」は本人が拒否したらしい)。
おニャン子クラブ - じゃあね 投稿者 tamtran0208
おニャン子クラブ_会員番号の歌_コンサートバージョン 投稿者 azukitoast
もちろん「おニャン子」の「アイドル『夢』工場」はアイドルファンがレコードをはじめとした関連グッズを購入することで完結する。全体はむろんのこと,ソロやユニットでも活動を始めた「おニャン子」たちのレコードは発売週の初動は爆発的だが,持続性に欠ける。「レコードがイベント・グッズ」になったことの証である。おニャン子関連の全71種のシングルで43種がオリコン1位を獲得している。ただ売上枚数は少なく,寿命も短い。『じゃあね』でさえ28.1万枚,派生では河合その子の『青いスタスィオン』の34.1万枚。フジテレビ以外のメディア露出を抑制したのも一つの原因だ(*)。
「おニャン子」がアイドルを壊したとすれば,理由は三つある。第一に,フルオープンな「工場」の仕組みの身も蓋もなさである。「少女幻想」を完全に打ち砕いた。秘すればこそ花なのに,全開したのでは「おばさん化」が待ち受けている。第二に,「期間限定」であることから,「成長」を諦め,期待しないという態度が生まれたこと。第三に主に秋元康による楽曲の粗製濫造だ。85〜87年にこれだけのアイドル楽曲を作ると駄曲も混じる。
おニャン子8th『かたつむりサンバ』(87年5月21日発売)はタイトルからして「やっつけ仕事」の匂いが漂う。初期メンバーたちの「ショーミキゲン」が切れ始めていたとはいえ,売上枚数がついに一桁(7.2万枚)に落ちる。おニャン子は「素人なのにアイドルっぽい」のがウリだったけれど,大多数が素人ゆえにアイドルであり続けることは難しかったのである。瞬間的にアイドルであるのは簡単だが,持続的にアイドルをはるには超絶なスキルが必要なのだ。
うしろゆびさされ組 - バナナの涙 投稿者 tamtran0208
「おニャン子がアイドルを壊した」最大の理由は,河合その子(会員番号12番)と高井麻巳子(同16番)が後藤次利と秋元康の毒牙にかかったことだ。「商品に手をつけること」はアイドル・プロデューサーとしては鼎の軽重が問われる事態である。後藤次利は結婚だけで3回目だから一種のビョーキだ。秋元の場合,88年5月23日,高井個人のファンクラブ結成の直後に結婚引退させているからタチが悪い。「あー,そういうことか。二人でバナナの涙のわけね」とアイドリアンを失望させた責任は大きいのだ。「アイドル夏の時代」も「アイドル冬の時代」も秋元の「自作自演」だったとも言える。
――
*―系列局が『夕やけニャンニャン』をネットしなかった長崎県では,おニャン子クラブの認知度は低かったという。
おニャン子がアイドル初心者向けだったとすれば,清純・純朴な少女幻想に固執したアイドル上級者は「モモコクラブ」に集まった。菊池桃子の初期楽曲は一貫して秋元康が手がけているから,「モモコクラブ」も「おニャン子クラブ」も実は同根と言える。「モモコクラブ」はアイドリアンたちが好みのアイドルをデビューさせるわけだから,アイドリアンの自家中毒現象が出来した。「アイドリアンも結局は『見た目が9割』なのかよ」みたいな。新左翼という狭い枠の中で,内ゲバを繰り広げる中核派と革マル派のような不毛な争い。生まれるアイドルは傍からみれば五十歩百歩みたいな。
モモコクラブ_恋はいつでもゲンキなよい子 投稿者 azukitoast
少女隊はボンド企画などが30億円(40億円とも)のプロモーション経費で84年にデビューさせた。「テレビに出演せずにアイドルを売る」という,アイドルの本義に挑戦する企てだった。認知はされても,売上につながらなかった。このため,3rd『素直になってダーリン』(85年4月,曲:中崎英也)で,秋元康を迎えて「テレビに出る」という普通の路線に(ここでも秋元かよ!)。5th『Bye-Byeガール』(85年8月)はドラマ『夏・体験物語』(TBS)の挿入歌となる。
Shohjotai 少女隊 Bye Bye Girl 投稿者 utadalove
30億円単位の大がかりなプロモーションはセイント・フォーも同じだ。映画『ザ・オーディション』も公開されるゴージャスなデビュー(84年11月)。『不思議Tokyoシンデレラ』(詞:森雪乃丞,曲:加瀬邦彦)。タレント養成学校を経営する日芸プロジェクトがオーディションで選んだ4人(セイント・フォーは日芸の巨大な宣伝だったも言える)。85年以降は,レコード会社のリバスター音産(橋幸夫副社長)との間で展開される泥沼の争いだけがクローズアップされる。アクロバティックで激しいダンスは80年代には希有だった。板谷裕三子(写真左端)という「メガネっ娘」アイドルを産んだ意義もある。岩男潤子もデビューしている。
セイント・フォーは少女隊と同様に,「いくら資金を投入したところでアイドルビジネスで成功するとは限らない」という事実を残し,芸能プロがアイドルへの投資を抑制する遠因にもなった。
秋元康が憎めないのは,『セーラー服を脱がせないで』(女子高生こそがアイドルよ!)の作詞者自らがパロディ(揶揄)ソング『セーラー服を脱いじゃってから』(女子大生なんてもう「年増」よ! アイドルの資格なんてないよ!)を作ってオールナイターズに歌わせてリリースしてしまうようなお茶目さだ。だが,少なくとも現実世界においては,女子大生の「商品価値」は失われていないし,女子大生自身も「大年増」だとは思っていなかっただろう。なので,この曲は「なかったこと」にされてしまった。
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2012年01月10日(火)
【コミュニケーション・メディア史2011】3回:70年代アイドルの勃興 [コミュニケーション・メディア史2011]
■マルベル集計による年度別プロマイド売上ベスト5(女性)
| 年 | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 |
| 70 | 岡崎友紀 | 吉沢京子 | いしだあゆみ | 安倍律子 | 小川知子 |
| 71 | 南沙織 | 岡崎友紀 | 五十嵐じゅん | 吉沢京子 | ゴールデンハーフ |
| 72 | 南沙織 | 五十嵐じゅん | 天地真理 | 岡崎友紀 | 小柳ルミ子 |
| 73 | 天地真理 | 岡崎友紀 | 栗田ひろみ | 榊原るみ | 森昌子 |
| 74 | アグネス・チャン | 山口百恵 | 桜田淳子 | 浅田美代子 | 岡崎友紀 |
| 75 | 桜田淳子 | 山口百恵 | キャンディーズ | アグネス・チャン | 木之内みどり |
| 76 | 山口百恵 | 桜田淳子 | 岡田奈々 | キャンディーズ | 岩崎宏美 |
| 77 | 志穂美悦子 | ピンク・レディー | 山口百恵 | 桜田淳子 | 岡田奈々 |
| 78 | ピンク・レディー | 大場久美子 | 榊原郁恵 | 山口百恵 | 香坂みゆき |
| 79 | 大場久美子 | 榊原郁恵 | 石野真子 | 山口百恵 | ピンク・レディー |
プロマイドは10〜20代のファン層の動向を如実に反映するものであり,アイドルの栄枯盛衰の指標となる。70〜74年の岡崎友紀の人気の根強さは現代からは推し量れないだろう。それは吉沢京子,五十嵐じゅん(淳子),志穂美悦子ら若手女優の人気を増幅するプロマイドというメディアの特徴でもある。岡崎友紀は売上第1位獲得月数の最多記録(46回)も保持しているという。歌主体のアイドルがランキングを制圧するのは74年以降だ。
天地真理,ピンク・レディーのファン層は一般に小学生以下と低いとされる。しかし,飛ぶ鳥さえ落とす勢いのピーク時(天地は73年,ピンクは78年)には,全年齢層を巻き込む「竜巻」になるわけだ。キャンディーズはトップを獲れず,麻丘めぐみは一度もランクインしていない。
特撮世代にとって榊原るみは『帰ってきたウルトラマン』の女優だ。
榊原るみはアイドルを支持する層の少し上の世代(30代以上)の支持を集めたと推測される。映画『夏の妹』『放課後』などに出演して,73年にランクインした栗田ひろみ(16歳)はアイドルだった。長い黒髪で「少し翳りがある優等生」をイメージさせ,CMにグラビアにとメディアに露出した。74年には特別編集の「プレイガール」表紙・巻頭を篠山紀信撮影で飾っている。栗田ひろみは,みうらじゅんがリアルタイムで深く入れ込んでいたことでも有名だ。
志穂美悦子は,千葉真一が主宰するジャパン・アクション・クラブ(JAC)のメンバーで,74年8月には映画出演3作目での主演作『女必殺拳』が公開され,続編も2作製作された。77年にプロマイド1位の座を獲得するのは,時代劇『大江戸捜査網』,坂上二郎主演の『明日の刑事』,バラエティ番組『みどころガンガン大放送』などテレビ番組のパワーが大きかった。ミニスカートでアクションする強い女性に,いつの時代の男も弱いのだ。そして,水谷豊主演の学園ドラマ『熱中時代』で志穂美の人気も定着する。それにしても,志穂美を含めて,上の表中のアイドル二人と結婚した男は幸せ者なんだろうな,やっぱり。恨みも買っていそうだけど。
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2012年01月06日(金)
【メディアとコンテンツ2011】11回:80年代アイドルの特徴 [メディアとコンテンツ2011]
わらべ めだかの兄妹 投稿者 azukitoast
『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(欽どこ)の「萩本のぞみ」役,そして三姉妹で結成した「わらべ」の『めだかの兄妹』(*,82年12月21日発売,同番組のED曲,編曲:坂本龍一)が90万枚近く売れ,77年以降の民放ドラマ史上最高視聴率を記録した『積木くずし〜親と子の二百日戦争〜』の穂高香緒里役と,1983年に15歳だった高部知子は人気絶頂にいた。火曜20時は不良少女,水曜21時は普通の女の子という振り幅も大きい。
好事魔多し。写真週刊誌「FOCUS」に高部のプライベート写真が載る。性的行為,未成年喫煙をイメージさせるものだ。「だけど 大きくなっても にゃんこはにゃんこ にゃんにゃん」という『めだかの兄妹』の歌詞をとり,「ニャンニャン事件」と呼ばれる。高部知子は芸能界を追放され(欽ちゃんファミリーは破門=永久追放され),高校も無期限停学に追い込まれた。しかし,この写真はどういう性格のものだったか。その後に明らかになる。表面的なイメージだけで判断して,バッシングに走り,当該人物の排除にかかるというメンタリティーは,ネット時代になって加速しているようにみえる。「かなえ」と「たまえ」と「みえはる」が残ったとしても,何を「かなえたまえ」なのかは今となっては霧の向こうだ。
*―消費税導入以前は歌謡曲のレコードには物品税が課税されていた。童謡と認定されると非課税になる(価格を安くするか,レコード会社の儲けになるか)。国税当局の恣意的判断に委ねるしかなかった。『黒ネコのタンゴ』は歌謡曲,『およげ! たいやきくん』は幼児教育番組(ひらけ! ポンキッキ)で使われたことで童謡と認定された。『めだかの兄妹』の歌詞内容は最も「童謡的」である。しかし,楽曲の性格,歌唱者などを総合的に勘案して歌謡曲扱いとなった。
80年代に入り,アイドルの「自己宣伝的楽曲」が増える。それはアイドルがアピールしたいのはアイドル自身であるという当たり前の事実を反映したものだ。「わらべ」から独立しソロ・デューした倉沢淳美『プロフィール』は,「1967年4月生まれ いま16歳」「1m56です あなたとなら釣り合いそうよ」「A・TSU・MI A・TSU・MI」と自己宣伝のオンパレード(ただしスリーサイズは「まだ秘密」で「着やせするほう」なのだとか)。松本伊代のデビュー曲『センチメンタル・ジャーニー』(81年)で「伊代はまだ16だから」を「私まだ16だから」に変えさせたNHKでは,『プロフィール』は歌わせようがないのだった。
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2011年12月20日(火)
【アイドル論】 アイドルの中のアイドル:石野真子 [アイドル]
石野真子が『紅白歌合戦』に出場したのは2回。歌唱曲は79年が『ジュリーがライバル』(曲:幸耕平,79/9/25,7th),80年が『ハートで勝負』(曲:馬飼野康二,80/4/5,9th)。いずれも作詞は松本礼児である(合掌)。1st〜6thの作詞は阿久悠だったので,曲の新鮮さが欠けていた。当時,ジュリー(沢田研二)の曲といえば阿久悠。松本礼児にとって,ジュリーの先に阿久悠というライバルを見据えていたのではないか(邪推)。
石野真子の最大ヒットは『春ラ!ラ!ラ!』(80/1/1,8th)である。詞:伊藤アキラ/曲:森田公一。「春という字は三人の日と書きます」という発見だけで構成される詞である。「三人目」が誰なのかに解釈の余地を与えているのがヒットの決め手だったのだろう。
78年3月のデビューから約3年間。70年代アイドルがほぼ退場し,80年代アイドルが登場するまでの端境期の区間を激走し,榊原郁恵(ホリプロ)と石野真子(バーニング)の二人が「人を明るくし,元気を与える」という正統派アイドルのバトンを確実に80年代アイドルに引き継いだ。
石野真子は「芦屋のお嬢さま」である。カトリック系の中高一貫女学校に入っている。16:30が門限だったという。『スター誕生!』決勝大会では,ダニエル・ビダルの『天使のらくがき』を歌唱した。その選曲がツボにはまっていた。
そして,お嬢さまゆえに「親衛隊」も盛り上がる。白の特攻服に「愛妃真子」,緑の鉢巻が「石野真子親衛隊」の盛装とされた。81年に横浜銀蠅の弟分としてデビューする嶋大輔も「石野真子親衛隊」メンバーだったという。
| 狼なんか怖くない | 78/3/25 | 10.4 | 阿久悠 | 吉田拓郎 |
| わたしの首領 | 78/6/25 | 8.4 | 阿久悠 | 吉田拓郎 |
| 失恋記念日 | 78/10/5 | 9.0 | 阿久悠 | 穂口雄右 |
| 日曜日はストレンジャー | 79/1/5 | 6.9 | 阿久悠 | 筒美京平 |
| プリティー・プリティー | 79/4/5 | 6.8 | 阿久悠 | 筒美京平 |
| ワンダーブギ | 79/7/5 | 7.6 | 阿久悠 | 馬飼野康二 |
| ジュリーがライバル | 79/9/25 | 10.8 | 松本礼児 | 幸耕平 |
| 春ラ!ラ!ラ! | 80/1/1 | 16.0 | 伊藤アキラ | 森田公一 |
| ハートで勝負 | 80/4/5 | 9.7 | 松本礼児 | 馬飼野康二 |
| めまい | 80/7/5 | 9.9 | 有馬三恵子 | 川口真 |
| 彼が初恋 | 80/9/21 | 6.5 | 有馬三恵子 | 筒美京平 |
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まったく中身がないけれど,いや,中身がないがゆえに,『ワンダーブギ』も永遠のアイドル曲である。
石野真子は今世紀に入って,シンガーとして再始動している。新譜を出すほか,ライブも精力的だ。実際に拝見したことはないのだけれど,その佇まいやステージングは「現役のアイドル」と呼んでもよいほどだ。十代の頃の楽曲を歌っても劣化がない,奇蹟のアイドルだと思う。
Posted by 赤尾晃一 at 17時48分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年12月19日(月)
【アイドル論】 「アイドルはメディアビジネスである」という当たり前の事実を確認しておく [アイドル]
「日本歌謡大賞」というプライズが1970年に誕生した。主催者は「放送音楽プロデューサー連盟」。TBS以外の在京放送局8局(ラジオが4局)が組織し,各局持ち回りで制作した。「日本レコード大賞」をTBSが独占していることに対抗したものだが,70年代に入っての音楽ビジネスの構造変化の現れでもある。
それは音楽出版事業だ。音楽出版事業は渡辺プロ(渡辺音楽出版)が先鞭を付けた。グループサウンズ(GS)やフォークソングを機に,レコード会社の専属作家制度が崩れ,楽曲の制作主体として音楽出版社の地歩が固まった。70年ごろには放送事業者が音楽出版事業に本腰を入れ始める。放送局は音楽著作物の利用者であるにとどまらず,音楽出版物の利用機会を開発(プロモーション)することで利益拡大を期待できるからだ。
日音(TBS),フジパシフィック音楽出版(フジテレビ),日本テレビ音楽,NET音楽出版(現・テレビ朝日ミュージック)などが該当する。ドラマ主題歌などでタイアップした曲には音楽著作権の共同所有を図る。『スター誕生!』でデビューが決まったアイドルで,小さなプロダクションに所属した場合は,日本テレビ音楽が原盤を制作していく。岩崎宏美やピンク・レディーがそうだ。ただし,ホリプロ,サンミュージックなどの大手は自社で原盤制作するとともに版権を管理する。
↑ 『夜のヒットスタジオ』75/12/29の第373回の映像。『カモン・ベイビー』は発売前。『年下の男の子』と同じ作家陣が作った「続編」的楽曲。年齢差は明記していないが,女の子が男の子に対し「私がそばにいないと あなたはなんにも ひとりでは出来ないの」と言い放つ。
| ほほえみ | 74/3/25 | 7.5 | 千家和也 | 鈴木邦彦 |
| 昼下がりの夢 | 74/6/25 | 3.5 | 千家和也 | 鈴木邦彦 |
| 仮病が上手な男の子 | 74/9/25 | 1.4 | 千家和也 | 鈴木邦彦 |
| 白い窓辺 | 75/1/10 | ―― | 有馬三恵子 | 森田公一 |
| 日暮れどき | 75/5/10 | ―― | 宮下康仁 | 井上忠夫 |
| 素敵なラブリーボーイ | 75/9/10 | 9.1 | 千家和也 | 穂口雄右 |
| カモン・ベイビー | 76/1/10 | 3.7 | 千家和也 | 穂口雄右 |
| 危険がいっぱい | 76/4/10 | 2.6 | 片桐和子 | 平尾昌晃 |
| 気になるあいつ | 76/8/10 | 0.5 | 千家和也 | 川上了 |
■林寛子13歳でドラマ『おさななじみ』に出演の際,やまがたすみこと一緒に「この広い野原いっぱい」を歌唱する
林寛子はアイドル活動に入る前に,「劇団いろは」に所属し子役として活躍していた。アイドル・デビューする直前の72年には『変身忍者 嵐』に出演している(13歳である)。“くの一”カスミ役は一連の変身シリーズの中に咲いた大輪の花だった。
子役だったがゆえに,林寛子の挙動・佇まいには「業界慣れ」した部分もあった。「この間まで芸能界とは無縁で暮らしていた」というミドルティーンがアイドル・デビューする中で,このキャリアが(昔とは違って)マイナスに作用した面もアル。『素敵なラブリーボーイ』など曲には恵まれていたのに。
フジパシフィック音楽出版が管理するこの曲に目をつけ,小泉今日子にカヴァーさせたバーニングプロダクションは慧眼だったといってよい(12.4万枚,82/7/5)。もっとも,デビュー曲(私の16才,原歌手は森まどか)・デビュー第2作がカヴァー曲(というかアリモノ)だった小泉今日子は,事務所からそんなに期待されていなかったという見方もできる。
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Posted by 赤尾晃一 at 16時29分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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